@article{oai:senshu-u.repo.nii.ac.jp:00012984, author = {清水, 真志 and Shimizu, Masashi}, issue = {3}, journal = {専修経済学論集}, month = {Mar}, note = {これまで問屋制生産は,機械制生産の対極に位置する生産体制と考えられてきた。しかしそれは,段階論のなかで前貸制に基づく問屋制家内工業だけが論じられてきたために,問屋制生産の原理的構造にたいする考察が不足していたことを意味する。原理的には,問屋商人自身が直営工場で最終工程を担当するタイプの問屋制生産や,問屋商人が中小規模の工場制生産を統括するタイプの問屋制生産など,多様な問屋制生産の展開を考えることができる。問屋制生産は,機械制大工業に駆逐されて消滅するのではなく,むしろ機械化の影響を受けて変容するのである。ただ,その変容の原理を明らかにするためには,機械制生産に潜んでいる「大工業の機械経営」と「中小工業の機械経営」との分岐構造に着目する必要がある。宇野も帝国主義段階論のなかで,完成品産業における中小工業の存在に言及している。ただそれは,生産性が低く,相互の結束力も弱い「残存中小工業」と考えられているために,帝国主義段階における本源的蓄積の不徹底や収奪的傾向の再強化を説いた「不純化」論の文脈のなかに埋没してしまっている。中小工業論は,基礎のレベルから組み直されなければならない。 宇野の段階論は,資本主義の発展段階と資本の運動形式との間に一対一の対応関係をつけて,バランスよく構成されているように見える。しかし子細に検討すると,帝国主義段階に対応する資本形式が不明であるし,発展段階の並びと資本形式の並びとが合致しない理由も不明である。宇野の「産業資本の金融資本への転化」という命題も,これらの不明点を解消するには至っていない。また宇野は,資本主義的生産方法は自由主義段階の機械制大工業をもって「完成」されるという見解を堅持していた。ただこの見解では,帝国主義段階の「極めて高度の大工業」と機械制大工業との違いが不明になる。また,自由主義段階以降の問屋制生産にたいして,生産方法論からのアプローチを図ることも難しくなる。以上の難点は,宇野の段階論における重商主義段階の位置づけの低さとなって現れる。重商主義段階は,たんに本源的蓄積が未徹底であった発展段階とみなされて,本源的蓄積が不徹底であった帝国主義段階との外見上の類似を指摘されるだけに止まっている。ただこのことは,各発展段階における支配国・支配的産業・支配的資本だけに焦点を当てるという宇野の段階論の方法自体に,根本的な限界が潜んでいたことを示してもいる。}, pages = {71--129}, title = {問屋制生産の原理と段階論(2)}, volume = {56}, year = {2022} }